伊奈氏調査事始め

 

源長寺の伊奈家頌徳碑

このブログでは新井宿を中心とした地域情報を上げていきますが、また川口の偉人の伊奈氏に関することを取り上げていきます。僕はもう10年ぐらい伊奈氏のことを調べていますが、今日はそのきっかけについて紹介します。

新井宿駅と地域まちづくり協議会と歴史部

 たまたまその日は近所の氷川神社の石碑を調べていたところ、3人の男が何やら話していました。その中の一人は顔見知りだったので声をかけられました。何でもこれからまちおこしの団体を立ち上げるとのことで、それを相談しているところだとのこと。そしてこれも何かの縁だから一緒にやらないか?と誘われました。

 僕は2011年の東日本大震災の直後に失業して急に暇になってしまいました。大震災で多くの人は自分の人生について考えるようになったと思いますが、僕もいつ何が起きるかわからないのだから自分が消滅した後にも残るようなことをしたいと考え、元々歴史好きだったこともあり地域の歴史を調べて後世に残したいと思いました。神根村のことや寺社の沿革、伝承、産業史など図書館や寺など暇に飽かせて飛び回っていました。

 3人から「町おこしには地元の歴史の魅力を伝えていくのが大切だから、まちおこしで歴史部みたいのを作ってやってみたら?」と言われました。これが後のAGC新井宿駅と地域まちづくり協議会への加入と同歴史部の誕生となりました。以来10年以上活動は継続しており、AGCは川口市でも著名なまちづくり団体となり、多種多様な活動を展開しています。

伊奈氏調査事始め

伊奈氏調査を始める前に伊奈氏菩提にお参りに。2012年6月源長寺

 このようにAGCなるまちおこしで歴史調査活動をすることになったのですが、会長役員からはこの辺りの歴史といえば何と言っても関東郡代伊奈氏だからと言われていました。もちろん地元には赤山陣屋があり伊奈氏の菩提寺の源長寺も調べていましたが、川口で伊奈氏と言ってもほとんど誰も知らないし、そこまで重要な郷土史の位置づけとは思いませんでした。しかし地元の古い人たちは今でも伊奈様といって尊敬の念をもっていたので、そこまで言うなら伊奈氏を専門に調べてみようということになりました。以来歴史部と言えば伊奈氏を専門に調べて川口市民に紹介することを目的とするようになりました。

静岡県小山町須走の伊奈神社にある伊奈忠順像

 2012年は赤山伊奈氏5代目当主の伊奈忠順(ただのぶ)の没後300年に当たりました。伊奈忠順は1707年の富士山の大噴火の時に大きな被害を受けた被災地の復興に尽力した人で、幕府に無断で国庫を開いて被災民に米を与え、責任を取って切腹したという伝説がある聖人のような人で、新田次郎の小説「怒る富士」の題材にもなっています。この忠順を調べて小冊子にまとめることが伊奈氏調査の事始めとなりました。



宝永噴火の火山灰層

 須走・小山の伊奈神社、酒匂川の会所跡、火山灰の堆積層などの現地調査をすると、人力ではどうにもならない宝永噴火の被害の大きさと、それに立ち向かった忠順の苦悩を知ることができました。また、今でも忠順を復興の父として崇敬の念を忘れない被災地の思いに感動しました。この調査をまとめたものが伊奈氏調査報告書第1号「小冊子宝永噴火と伊奈半左衛門伊奈忠順」です。初の小冊子で今読むと稚拙で少々恥ずかしくもありますが、熱意だけは伝わりますね。ああ懐かしい!

記念すべき小冊子第1号

AGC新井宿駅と地域まちづくり協議会HP内の「関東郡代伊奈氏の200年」のページ↓

https://araijuku2011.jp/inasi01/

 この小冊子を皮切りに利根川東遷や伊奈氏顕彰碑文集などいくつか小冊子を出させていただき、AGC新井宿駅と地域まちづくり協議会のホームページに掲載させていただいています。これがきっかけでテレビ取材に協力したり展示会や講義をさせていただいたりバスツアーを催したりと、わずかですが伊奈氏顕彰に役立つことが出来たのが些か喜びであります。


赤山陣屋のお堀。桜の名所である

 2018年赤山の伊奈氏陣屋跡にイイナパークが出来、2021年に伊奈町・つくばみらい市・川口市の2市1町で伊奈氏ゆかりの地協定が結ばれて、ようやく伊奈氏の認知度が高まってきました。伊奈氏の業績はもっと知られるべきだと思いますし、その精神性は今後を生きる私たちに必要なものだと思うので、これからも伊奈氏調査や顕彰に微力を尽くしていきたいと思います。

伊奈氏調査10年を記念して、その事始めを記させていただきました。ではまた。

2022年5月13日。


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